
リンゴ・スターの「The Beatles」解散までの軌跡
前回までに「The Beatles」のオリジナル・アルバムについて見てきましたが、今回からは各メンバーに注目して見ていきます。まず最初はビートルズのドラマー「リンゴ・スター」のビートルズの解散までの軌跡を紹介します。
リンゴ・スターことリチャード・スターキー(本名)は、1940年7月7日にイングランドのマージサイド州リヴァプールで誕生しました。幼い頃から病弱な少年だったリンゴは、入退院を繰り返すことになるのですが、ここでドラムと出会うことになります。
出席日数の少なかったリンゴは、15歳で中学を卒業することなくリヴァーサイド技術学校に学籍を置きながら働くこととなります。そんな彼がバンド活動を開始、本格的にドラムを始めたのが1957年のことでした。
1959年、リンゴは「ローリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」というバンドのドラマーとして所属。そして、ドイツのハンブルク興行に出かけた際に「カイザーケラー」というクラブで、ビートルズと交互に出演し、その時にビートルズのメンバーと交流を持つようになりました。
そのことがきっかけで、ある時に当時のビートルズのドラマー「ピート・ベスト」が公演に参加できないことがあり、リンゴに代わりに出演依頼したことがあったそうです。リンゴの演奏は素晴らしく、のちにポール・マッカートニーが「あの瞬間こそが、本当の始まりだったんだよ。ビートルズのね。」と語っています。
1961年に「EMI」と契約を交わしたビートルズでしたが、プロデューサーのジョージ・マーティンから「ドラムが弱い」と指摘されていたことから、ピートを解雇し、1962年8月18日、リンゴをビートルズのドラマーとして迎えることになりました。リンゴを迎えたビートルズは、同年10月5日1stシングル『Love Me Do』でメジャーデビューを果たします。
ビートルズが解散するまでのアルバムに作詞・作曲をリチャード・スターキーの名でクレジットされた曲は5曲。単独で製作した『Don’t Pass Me By』『Octopus’s Garden』、レノン=マッカトニー=スターキーでクレジットされた『What Goes On』、メンバー4人の名でクレジットされた『Flying』『Dig It』です。
また、リンゴがメインボーカルを務めた曲も何曲かあり、上記紹介した自身の作詞・作曲の2曲をはじめ、『Yellow Submarine』『With A Little Help My Friends』『Good Night』などがあります。他のメンバーとの声質の違いもあり、アルバムの中でのアクセントにもなっており、よりリンゴ・スターらしさを感じます。
そんなリンゴですが、1968年に発売された10thアルバム「The BEATLES」(通称:ホワイト・アルバム)制作時にポールと揉めて2週間ほどレコーディングを離脱し、ビートルズを抜けたのは有名な話しです。
1970年4月10日、ポール・マッカートニーがビートルズからの脱退を発表。事実上、ここでビートルズの歴史は幕を降ろしました。
ビートルズにとってリンゴ・スターがドラマーとして加入したことは、ビートルズの音楽と成功に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。メンバーの中で、もっとも穏やかで、人格者であったと言われている彼がいなければビートルズの解散はもっと早まっていただろうとも言われています。
そんな彼だからこそ、メンバーを含め多くのアーティストからも愛されているのでしょう。
次回は、「リンゴ・スターの「The Beatles」解散後の軌跡」をお贈りします。お楽しみに!
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呉東和虎(ごとう かずとら) プロフィール
1972年愛知県生まれのフリーライター。中学生のころからの35年以上、毎日「音楽」を聴いてきました。音楽は生活の一部であり、聴いてきた音楽・読んできた本・見てきた映画で、その人の半分は形成されていくものだと感じています。音楽は「ロック」好き、自らギター・三線を弾きます。
ライターとして、音楽・バイク・車・ファッション・アニメなどの情報をお伝えしています。私の記事を読んでいただいた人に、何らかのプラスになる情報を提供できるように執筆していきます。
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